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研究内容

会計学と人類学に関するトランスフォーマティブ研究

出口 正之 教授
国立民族学博物館

 15世紀イタリアに起源を持つ複式簿記会計は、口別損益計算から期間損益計算へ、現金主義から発生主義へという進化主義的経路をたどって形成されたディシプリンのひとつである。その進化プロセスにおいては企業会計を中心に制度的整備が進められてきたことから、企業活動のグローバル化に伴い、必然的に会計基準のグローバル化が求められるようになった。この要請に応えて、各国(各地域)の企業会計の違いを超えたグローバル・スタンダードとしてのIFRS(International Financial Reporting Standard)が開発されてきた。会計関係者の間では今日、IFRSと各国基準の差異のコンバージェンスおよび各国におけるIFRSのアドプションが、大きな関心事となっている。日本の会計学は近代化以降、ほぼ一貫して西洋の複式簿記会計を受容するべく、その考え方と仕組みを国内に紹介し続けてきた。

他方で、文化人類学はまったく異なる発展形態をたどる。第一次世界大戦の勃発で、偶然太平洋上のトロブリアンド諸島に留まることになったマリノフスキー以降、長期間一か所に滞在するフィールドワークという手法が定着し、対象とする人びとの個別文化を主として研究する学問となっている。進化主義的な西洋中心主義を批判し、それぞれの文化の中の合理性や神秘性を指摘し続けてきた。フィールドワークという強固な手法が存在し、フィールドワークをしない人類学者は「アームチェアの人類学者」と揶揄されるほどフィールドワークは重要視されてきている。もちろん、歴史人類学者をはじめ、フィールドワークに依拠しない人類学者もいるが、文化人類学は数ある学問の中でも 「フィールド」を重視する点で特徴的である。このように会計学者と文化人類学者は、極論すれば、思考方法も大きく異なり、とりわけグローバリゼーションに対する考え方も対立する、あたかも異民族同士のような関係にある。

 こうした学問に特有の視点から、相互の学問が融合しない状態は学問の孤立化を招いていた。さらに、各学問が学問的精確性を追求せざるを得ないことか ら必然的に「学問の蛸壺化」を招き、ときに批判されていた。本書は、かかる批判に大胆に応え、学問が本来有する知的関心を相互に融合させるトランスフォーマティブ研究をおこなおうとする挑戦的、冒険的研究の成果である。トランスフォーマティブ研究とは、ディシプリンに革命的変化をもたらせ、まったく新しい分野を作り出すこと、あるいは、既存の理論と展望を混乱させるといった通常では考えられないような結果をもたらすような取り組みのことをいう。いささか大仰に聞こえるかもしれないが、学問の殻に閉じこもる蛸壺研究の弊害は数十年にわたって指摘されてきた。研究者側もある種そのことがわかっていながらも、ディシプリンの枠内で「安全な」研究に終始していたのではなかろうか。トランスフォーマティブ研究において「領域設定総合化法」という方法論を提示し、それに沿って研究をおこなった。
 研究の成果は、国際シンポジウム「東アジアの非営利組織をめぐる法・会計・文化――普遍性と個別性」や、日本語での出版ではあるが、『会計学と人類学のトランスフォーマティブ研究』(2021年1月刊行予定)である。
 企業の価値観が大学に入り込んだことに対して、かつて文化人類学から理論的な反論が主張されたことがある。文化人類学者は進化主義思考やグローバリゼーションに対してクリティカルに考える方法を駆使してきた。認証を求める社会の状況について監査文化(Audit Cultures)という用語を当て、批判を加えている。その代表はMarilyn Strathern、Curis Shore、Suan Wrightをはじめとした、Anthropology of Policyを提唱する一群の研究者である。彼らは地理的な空間ではない「政策」を「フィールド」と定義し直し、人類学を政策研究に生かそうとしている。ストラザーンは、会計学者Michael PowerのAudit Society: Rituals of Verificationを引用し、主張の重要な柱に据えた。明らかにストラザーンは会計学者の影響を受けていた。 他方で会計学者のPowerは、90年代にかけての英国の大学の法人化、PPP(Public Private Partnership)に起因する独立行政法人化やNPO(Nonprofit Organization)への委託、さらにはそれに対する評価を求める公共政策の変化といった時代背景を基にして、Audit Explosionが英国社会に起きていることを示して、会計学の領域を超えてその現象の意味を探ろうとした。そのときに、人類学者のMary Douglasを引用して、その副題に、Douglasの用語であったRituals of Verificationを使用したことに見られるとおり、人類学の影響を受けている。公共政策が大きく変化する時代に、英国において、人類学者と会計学者の間にわずかとはいえこのような交換があったことには着目しておきたい。制度の変革時には、旧制度にまつわりついていた慣習から人びとは容易に脱することはできずに、事実上の「文化遅滞」(ここでは制度が変化しても人びとの文化の変化は遅れるという意味で使用)が生じるものだろう。日本社会においても、時間差を伴いながら、国立大学の法人化をはじめ似たような経路をたどり、今や評価、評価の大合唱である。認証、認定などあらゆる分野で、Powerの言うAudit Explosionが生じている。

 本研究はこうした企業的視点の流行の中で、非営利セクターの会計を「領域」として設定した。実は、日本では、非営利セクターの法制度が、学校、ヒューマンサービス団体、病院、Society、Foundationで異なっており、会計基準もばらばらになっている。このような多様な会計基準の存在は、他国では見られない特徴である。公認会計士は企業会計の範囲でしか知識を得ておらず、しばしば会計解釈を巡って大きなトラブルを生じさせていた。このような状況を会計学者と人類学者の共同によって研究したものである。研究は古代の会計の表記法や前近代の沖縄の納税の記録、ジンバブエでのハイパーインフレーション、パプアニューギニアの貝の貨幣による納税まで幅広い分野から現代の会計のグローバリゼーションであるIFRSにまで及んでいる。
トランスフォーマティブ研究から、以下のような3つの大きな成果が本研究から生まれた。第1点は、少なくとも会計研究に対する新しい公準の考え方が誕生したことである。これは今後数年にわたって会計学で議論されうる内容である。第2点は、会計を人間の営みであるという基本に立ち返って考えた場合、文化/文明との関連を考察する必要が明らかになったことである。このことは今後の研究の道標となり、領域設定総合化に大きな影響を与えていくだろう。第3点は、非営利の世界を見る見方として、「ビジネスセントリズム」という新しい概念によってその混乱が説明可能としたことである。このことは「政府のセクター」、「企業のセクター」と並ぶ第三の「非営利非政府セクター」を検討する際の重要用語となりうるものである。